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| 第11回 いろは島 | |
今年の暖冬は異常。私のような中年のおっさんには過ごし易く、この上も無く嬉しい限りであるが、スキーやスノーボードにハマッテいる若者には何ともつまらぬ冬なのだろうね。 ご同情申し上げる。 でも、昨年のように雪が降っても最近のスキー場は閑古鳥が鳴いている。 我々の青春時代(今は死語とか)のように冬はスキーとばかりにスキー場に押しかけ、リフト待ち30分から1時間は常識、という非常識な事態は今は無い。 だから今こそ「若者よ、スキー場を目指せ」と言いたい所ですが、この少子化では何ともならんとか。 話は変わって、私のような「健康な年寄りは、暖かくて、景色が良くて、良い温泉」を求めて九州は佐賀県唐津市のいろは島を目指したのです。 (本当はお仕事です) 九州は通算9年近く勤務していたのですが、いつも佐賀は通過するのが常で、今回、宿泊は初めてです。 福岡から地下鉄で唐津行きに乗り1時間と15分、それはそれは、綺麗な松林を見ながら列車は進みます。 日本三大松原の一つ「虹の松原」です。 私の勤務する岡山県、広島県には「松くい虫」にやられた松しか無いので、大感激。 日本に残したい風景と強く意識しました。 唐津駅から今日の宿「国民宿舎いろは島」の車で宿舎へ。 建物は相当古くなっていましたが、夕食後に入ったお風呂が「単純アルカリ泉」でPHが8,6とか書いてあった。 美人の湯であります。 おっさん向けには何と言うキャッチコピーがいいのだろうか? 「すべ男の湯」か? 湯原温泉と同じ泉質ですべすべ感が良いんだなー。 翌朝の海の景色にコレマタ感動。 波一つ無く穏やかな湾内には「弘法大師」も美しさの余り、筆を落としたとか? 「佐賀にも、こんなに素晴らしい所があることを知らんかったバイ。」 と気付いた。 いろは島と何の関係があるか今1つ理解出来なかったのですが、ゴッホの描いた「跳ね橋」と思われる橋もあったのでシャッターを押しました。 初めての佐賀の旅、良かったです。 お笑いタレントの塙さん、いろは島も紹介して下さい。 ※いろは島の国民宿舎のご紹介 |
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| 第10回 平成19年 1月23日 平山郁夫画伯と国分寺 | |
国分寺に菜の花が咲いた。 天気も良いのでサンロードで自転車を借りて7.8分で到着。 一面菜の花とはいかないが、カメラアングル次第で様になりそうだ。 ビューポイントは限定されているようで私が到着したときには、10人くらいのアマチュアカメラマンが良いアングルを求めて右往左往の状態。 菜の花越しに五重塔をパチリと1枚撮った。 先日先輩が「竹ちゃん、国分寺周辺に平山画伯の石碑があるのを知っとる?」と聞かれたことを思い出し、周辺を見渡すも発見出来ず、近くにある「山手もてなしの館」に入って係りの人に聞いてみた。 「ビニールハウスの向側に1つあったと思う」と教えてくれたので移動。 石碑には「平山郁夫画伯取材場所C」と記され地図まで載っていた。 これ以外にまだ3箇所あるらしい。 何度も訪れていたのに、見落としていたとは恥ずかしい限りでありました。 このCポイントは昨年の墨彩画展で参考出展されていた平山画伯の絵を思い起こす。 五重塔の横にポッカリと浮かんだ満月の絵、何という題であったか思い出せぬのが、凡人故の浅はかさであります。 残りの3箇所はまたの機会に探しておきます。 ■この季節、4月下旬まで国分寺周辺は、菜の花、レンゲ、梅、桜、桃と様々な春の彩りを楽しめます。 |
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| 第9回 平成19年 1月4日 備中神楽 | |
皆様は神楽をご覧になられたことがありますか? ある程度の年配の方なら「見たでー」とおっしゃる筈。 私は備後の国に生まれましたので「備後神楽」を祭りの度に見た記憶があります。 子供心にも「退屈じゃのぉー」と感じながら、この歳になりました。 何しろ、言っている意味が不明でチンプンカンプンでしたからね。 ところが、此方に来て「備中神楽」を真近で見て「こりゃぁスゴイ」と感じました。 「スサノオノミコトの大蛇退治」は圧巻でありました。 思い起こせば子供の頃、前座の舞ばかり見ていて、本番に入る前には退屈して寝てしまうか、帰ってしまっていたのです。 惜しい事をしました。 そこで、正月4日の午後8時から「総社社中」の皆様の協力で、サンロード吉備路のロビーにて、「備中神楽」の公演となった次第です。 開演時間になれば用意した椅子は満席、ロビー2階席(ロイヤルボックス?)にも鈴なり状態。 「総社社中」の皆さんも大張り切りの一時間でした。 舞台狭しと暴れまわる「大蛇」と「スサノオノミコト」。 大蛇の尻尾がマイクスタンドを払い飛ばし、舞台係の私は大忙しの有様。 それを見ているお客様はヤンヤの拍手。 日帰り入浴のお客様も足を止め「正月早々、良いものを見せて貰った」と湯上りの顔を一層赤くして感想。 兎にも角にも、盛り上がった備中神楽でした。 今年も身近な話題を含め、このページを書き続けたいと思います。 皆様にとって、良き一年でありますように。 |
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| 第8回 11月13日 妙高山と囲炉裏の家 | ||
今回はチョイ寄りの番外編。 私の30数年来の友人が新潟県妙高山の近くに「囲炉裏付きの古民家」を買った。 「竹ちゃん、冬に備えて薪の準備をするので手伝いに来ないか?」とのお誘い。 12日の朝早く、家を出て名古屋9時発の「しなの号」で長野へ。長野駅で2人の友人と合流。 共通の先輩と2時間ばかり蕎麦を手繰りながら四方山話。 親の介護、わんちゃんの話、年金の話しと最近自分の話す内容が偏っている事に気付く。会話が貧困になっているのかな? 長野から妙高方面に車を走らす。 「雪が降ってきた」。どんどん天から舞い落ちてくる。 11月半ばにして雪を見るとは、さすが新潟である。晴れの国「岡山」にいる私には新鮮な驚き。 晩秋の夜は早い。 坂道を登った所に友人の「古民家」はあった。平屋風に見えるが、半二階との事。 外観からも田舎にマッチした造りで中々良いぞ。 夜空を見上げて驚いた。 雲の切れ間から覗く星のキラメキはどうだ。キラキラと真っ直ぐ私の目に入って来る。 何年も何十年も忘れていた感動だった。 玄関の鍵を開けると土間があり、右手にはおクドさんまであるではないか。 そして何十年と煙に燻された黒光りする板の間、天井を走る太い梁、板襖。 まさに私の生まれた頃にタイムスリップしてしまった。 小学校に上がる前まで我が家もそうでした。 さあ、これからが私の出番である。 囲炉裏で薪をクベル(産まれ故郷の言葉)為に新聞紙、小枝(乾いた杉の葉等)、割り木をより小さく割ったもの等を綺麗に積み重ね、点火。 難なく火が燃え盛り「昔取った杵柄よ」と大威張りまでは良かったが、この煙のけむい事、涙がでてきた。 二階の窓を全開し解決。 とは言うものの煙で泣いたのも10年来だと思う。 パチパチと木のはじける音。電気を消して、囲炉裏の火だけで語らう友人との会話。 素直に暖かい気持ちで話す自分がそこにいた。 火のもつ効用だろうか?豊かな時間が流れていった。 翌朝、快晴。8時より庭にある大木の枝打ちした後の片付け。 枝を一定の長さに切り分け束にする作業。 産まれ故郷では「山へ行って枝を束にソクウて来い」と兄貴によく命令されたものだ。 友人に「鉈の使い方が上手」なんて煽てられて益々張り切ってしまった。 2時間で終了の後、彼の本宅に移動。 お寺から貰った杉の丸太を薪割り用の長さに切り分ける。 チェーンソーで2藤間あまりの格闘。心地よい汗を流しノルマ達成。 「山仕事は竹ちゃん」とのお褒めの言葉をいただきましたが、体はヘロヘロでした。友人2人も私同様に見えましたが。 その後の缶ビール、美味しかった。 本当は2泊3日の予定でしたが所用が出来、午後3時半過ぎに、妙高高原駅で彼らと別れる。 春になって雪が融けた頃、再び訪れる事を約して。 山仕事から3日目。足腰バリバリで、がに股歩きをしております。ハイ。 |
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| 第7回 11月1日 コスモス畑 | ||
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いやぁー知らんかったでー。サンロードから歩いて3分のところにこんな綺麗なところがあるなんて。 いかに毎日を無意識、無感動に過ごしているかを反省しました。 写真を撮って事務所に帰り係長に見せたら「綺麗ですね。何処にあるのですか?」。 私と同じように毎日を無意識、無感動に生きている人がいた。 安心したと同時に何か不安も感じたのです。 |
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なんと、コスモス畑は総社市役所観光課の人達によって暑い中、土を起こし種を蒔き育てて貰った「汗の結晶」なのです。 4反の広さ一面にピンク、白、紫の花が競うように咲いて、今が見頃です。 種を蒔いた担当者は「今年のコスモスは種が良かった」と謙虚な言葉でしたが「いやいや、栽培の腕が上がったのですよ。」と少しゴマを摺っておきました。 本当にお疲れ様でした。 そして綺麗な花を植えてくれてありがとう。 |
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コスモス畑のバックに映っている建物が「サンロード吉備路」です。 倉敷方面から来れば、サンロードの建物が見えると同時にコスモス畑が目に入ります。 路上には車は停車出来ませんので、サンロードの駐車場に車を置いて歩いて3分です。 11月の半ばまでは大雨や強風の無い限り、充分楽しめます。 お早い内にご見学下さい。 |
| 第6回 10月5日 宝福寺 | |
2ヶ月も更新していなくて、担当者からページを取り上げられそうになり「こりゃーおえん」とばかりに紅葉の始まりを求めて、宝福寺へ一目散に車を走らせた次第。 まだまだ、紅葉にはほど遠いのですが、ポツポツと気の早い紅葉が待っていてくれました。 見頃は11月の声を聞かないと駄目なのかも?と思いつつ、デジカメで数枚写しました。 山門に入る手前の石垣に扇形の石がはめ込まれているのを発見。 粋な石工さんが施工したのでしょう。 職人としてのプライドがこういったパフォーマンスを生み出すのは、古今東西を問わず人間を感じさせます。 山門を抜けると正面に仏殿。私としてはこの仏殿が好きです。 丸窓や扉、天井近くの明かり採りにはめ込まれた格子のデザインは「遊び心」と云うか、センスを感じます。 朝早く来て、朝日が差し込む時間帯に此処でお参りしたならば、私のような人間でもきっとご利益があると信じるでしょうネ。 天井には大きな龍が描かれていて迫力満点。 夜な夜な、水を飲みに出ていたそうな。 右手に進むと、きれいに掃き清めた庭の奥に方丈と書庫、そして鐘楼が見える。 方丈のまえに小さな雪舟と鼠の石像がある。 雪舟がこのお寺で修行中に住職に叱られて方丈の柱に縛られて、落ちた涙で足を使って鼠の絵を描いたのは有名な話。(最近の若い人は知らないと云う。せめて地元の子供たちには語り伝えたいデス。) 私はご幼少?の頃、母からきいてた覚えがあります。 残念ながら現在の方丈は建て替えられたものであり、内部の拝観はできません。 私のような観光的立場に居るものからすれば拝観料を払っても良いから見学させて貰いたいと思うのはわがままでしょうか? さて、一番奥まった所にあるのが、三重塔で1376年の建立で岡山県では2番目に古い塔とのこと。 三重である為、やや小振りにみえるが朱塗りに映え中々に美しい。 紅葉真っ盛りの時期だと一段と華やかに映るはずだ。 今回は早めに訪れたため紅葉は見られませんでしたが、七堂伽藍を備えた禅宗様式のお寺として、何時来ても凛として静かな佇まいを崩さず、人間の姿勢を正してくれるお寺かもしれません。 ※ 宝福寺まで乗用車で国道180号線にて高梁方面に走り、井山宝福寺の看板を右折。 サンロードより車で20分。駐車場も無料。寺内の拝観料も無料。 |
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| 第5回・8月2日 吉備路郷土館(旧山手村役場) | |
国分寺から「こうもり塚古墳」に歩いてむかう途中、奥まった場所に立派な茅葺き屋根が見えてくる。 「今時、茅葺き屋根の家に住んでいる人がいるとは、総社はすごい所だ。」と感心していた。 個人のお宅だと思っていたので、今までは遠目に見ていただけなのだがフトしたことから「吉備路郷土館はどこにあるの?」とフロントで聞くと「こうもり塚の奥にありますよ。」とのこと。 またまた自転車を借りて国分寺方面にペダルを漕ぐ。 昼前なので暑いのなんの 国分寺の裏からこうもり塚方面へ。 こうもり塚手前から左方面へ進むと灌漑用のため池がある。 池の傍らに前から気に掛かっていた茅葺きの家があり「いい場所にお住まいだなー」と羨ましく思った次第。 家に近づくが「ありゃー?人がおってんないで」。 何とそのお屋敷は「旧山手村役場」の説明看板があり。 その説明版には初代山手村長の自宅であった建物を山手村が買い取り、明治35年から昭和43年まで山手村役場として使われていたとの事。 式台(玄関先に設けた一段低い板敷き。客を送迎して礼をする所。)が設けられているので、村人たちが「たのもうー」と声をかけて「どーれ」と役場の人が応対したのだろうか? それにしても立派なお屋敷である。 畳替えもしてあり、ここで涼しい風に当たりながら昼寝が出来れば最高なのだがと思った途端、式台の上には「中には入らぬように」とのお達し立て札があった。 「やっぱし役場はかたいのー」と捨て台詞。 隣には山陽道のあった茶屋「旧松井家住宅」も移築されている。 勿論、茅葺で庶民の家らしく、こじんまりとして田舎の家を思い出した。 外では「ツクツクボーシ」が競って鳴いている。 近づくと「ツクツクツクツク ジー チャ(シッコを放水した音)」逃げ足が速い。 大人になっても「ツクツクボーシ」は捕まえられないと思う。 郷愁を感じた昼下がりでした。 遺跡出土品を展示してある郷土館は一番奥まった所にあります。 月曜休館、9時 〜 16時30分開館、入館料 150円。 ■旧山手村役場・吉備路郷土館(サンロードから自転車で 10分) |
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| 第4回・7月10日 備中国分寺 | |
まだまだ梅雨のあける気配はない。 雨の降らぬ間にサンロードのレンタサイクルで国分寺まで走る事にした。 バイパス道路に出て倉敷方面に少し走ると左手の小山越しに五重塔が見えてくる。 景観地区として建物等が制限されているようで、田園風景の中に屹立する様は「さすが、吉備路の代表的風景じゃのー」と自画自賛。 天平13年(西暦741年)聖武天皇の勅命により全国に建造された国分寺の内の一つ。 その後、南北朝時代の戦火で焼失したが江戸中期の領主、蒔田氏によって再建されたという。 五重塔を再建中に大飢饉となり、3層までは総檜作りであるが飢饉以降に作られた4層、5層は安い建材の松で作られている。 一層目の軒下を注意して見ると、東西南北の各面ごとに3体づつの十二支の彫り物がある。 昔は十二支で方角を表していたのか?時間も十二支だったよね。 さて、もう一つの隠れ話を教えよう。 本堂には先月紹介した備中高松城の城主、清水宗治の位牌が安置されています。 いつの頃か清水家の菩提寺の住職が国分寺に移る時、此方に持ってこられたとの事。 ご本尊の脇に安置されているそうですが、遠目でハッキリ確認は出来ません。 五重塔の前で咲いている花をご存知ですか? この花の原種は「ヒゴタイ」と云って熊本県阿蘇地方の草原に咲く野草です。 冷涼な地域でのみ生き延び日本列島が大陸と陸続きであった事を証明する「大陸性遺存植物」の一つなのです。 阿蘇地方の人々は「盆花」としてこの「ヒゴタイ」「ヤツシロソウ」等を切り取って墓参りの花としたのです。 (現在では稀少価値の高い植物故、採取は禁止されているかも知れない)。 五重塔を撮影して「ヒゴタイ(栽培種名は何と言っているのか解らない)」に逢えた事は仏さまのご縁でしょうか? サンロード吉備路から自転車で10分。 ※サンロード吉備路にレンタサイクルがございます。1時間200円です。 |
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| 第3回・6月24日 吉備津神社 見頃(紫陽花が咲く6月下旬) | |
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今日は夏日。暑い。 今回から岡山弁も入れながらレポートするけー、よー見にゃあ、おえんで。 パソコンの画面が岡山弁に反応して赤い波線が出るわ、出るわ。(無視) 吉備津神社の紫陽花の話が入り早速、車を走らせる。 サンロードから180号線に出て約20分。 この神社は温羅(うらと読む、鬼とするのはカワイソウじゃ)退治をした吉備津彦を祀ってあり、本殿は比翼入母屋造りと称れ屋根のカーブが美しい。(現在は改修中でみることはできないが。。。) 本殿を抜けると、ぼっけー長い回廊があるんよ。 そこを歩いて行きょーると左側に紫陽花が見えて、紫やら、青いんやら、白いのもある。 一面紫陽花というボリューム感には乏しいが、ちょっと一息の花見かなの気分。 急な坂(手すり有り)を登ってお堂近くから振り返ってみるアングルが、ええなーと思うんじゃが、どうかのー。 紫陽花越しに長い回廊が横切り、初夏を渡る風が心地よい。 回廊を下り、お釜殿に向かう。 お釜殿は温羅の愛妻物語が秘められている(私の個人的な解釈ですが)。 吉備津彦命(キビツヒコノミコト)に討ち取られた温羅の首が夜な夜な泣き叫ぶので、お釜殿の下に埋めた。 それでも泣き止まず、命(ミコト)を始め困りきっていた処、命の夢枕に温羅の霊が現れ「吾が妻、阿曽郷の祝の娘、阿曽姫をして命の釜殿の御センを炊がめよ。もし世の中に事あらば賽の前に参り給われば幸有れば裕に鳴り、禍有れば荒らかになろう。云々」。 最近まで釜炊き神事に仕える女性は阿曽女と云い、総社市にある「鬼ノ城」下の阿曽郷の出身の方のみその職に就いていたと云う。 ちなみにサンロードのユリコ姫は阿曽姫の末裔である。 午後2時までに受付をすれば3000円で占って戴けます。 ただし、神官・阿曽女がいい音、悪い音とは言いません。 自分の心で音を判断するとの事。金曜日はお休みです。 温羅は週一の休みなのです。 週休二日制度はまだまだ先じゃのーと呟いたのが聞こえた。 |
第2回・6月13日 備中高松城址 見頃(菖蒲が咲く6月上・中旬) |
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梅雨の晴れ間がピッタリの13日、高松農業高校に行く用事があり、約束の時間より少し早く着いたので、備中高松城址に寄ってみた。今回で3度目になる。 いつも思うことだが、こんな田んぼの真ん中に本当にお城があって5千人もの人達が篭城したのだろうか?と考えてしまう。 石垣もなく周りの田んぼより多少盛り上がっている小高い丘?程度しか認識できない。 しかし、近年の公園整備により池が作られ、花菖蒲、睡蓮などが花をつけそれが終わると蓮の花が咲くという。 城兵の命を救う為、潔く切腹した城主「清水宗治」の菩提を弔っているのだろうか? 小さな橋を渡ると宗治の首塚、そして辞世の句碑がある。 「浮世をば 今こそ渡れ 武士の 名を高松の 苔に残して」 武士としての気概が胸を打つ。 丁度、昼過ぎて木蔭の下、弁当を広げ楽しく語らう家族連れを見ると、此処でこの様な戦いがあったとは中々結び付かず、宗治公も地下で「平和な世の中は、ええのう」と備中訛りで呟いておられる事だろう。 歴史的背景はテレビの「功名が辻」でご覧の方が多いと思うので省略。 チョイ寄り情報としては、宗治公の位牌がサンロードから近い備中国分寺の本堂におまつりしてある事、清水宗治公の血を引いた方が総社市の商工会議所でご活躍されている事でしょうか。 もう一つありました。私の先輩に名古屋出身の堀尾さんという方がおられます。 その方の先祖は紛れも無く「堀尾茂助吉春」で、この高松城水攻めにおいても宗治公切腹の際、見届け人(こういう言い方で良いのかな?)として、宗治公の船近くで控えている絵が残っています。 秀吉に信頼の厚い武将であったのでしょう。 こぼれ話ですが、その先輩に男の子が生まれ「名前は先祖さまから戴いてヨシハルとする」と勇躍、市役所に届けたのですが、ガッカリ肩を落として帰って来られ「アカン、義春だと思って届けたのだが、吉春だった。」 その後、義春君は改名することなく立派に成長されたそうで一安心です。 |
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| 第1回・6月8日 頼久寺(ライキュウジ) 見頃(サツキが咲き誇る6月中旬) | |
6月8日、中国地方が梅雨入り。 雨でも楽しめるスポットは何だろう、何処だろうと考えていると、某新聞の地方版に高梁市の頼久寺(らいきゅうじ)のサツキが綺麗との事。 庭を愛でるには雨の季節も風流かな?と車を走らす。 約45分で到着。 門前には10台程度の駐車場があり、この時代にしてはありがたい無料。 山門をくぐると、正面に本堂があり想像してたよりは小振りのお寺であった。 右手に拝観入り口があり300円を納め本堂の中へ。 本堂と庫裏の裏側に、小堀遠州が作庭したと言われる庭があり、ピンク・オレンジの花を付けた「サツキの大刈り込み」が目に飛び込んできた。 青海原を表現したとあるが正に圧巻。 庭の中心部に鶴島、その後方に亀島、借景として愛宕山の峰を望み、小さいながらも丁寧に、しかも大胆に作庭した小堀遠州の気概が伝わってくる。 丸窓を通しての「大刈り込み」は一幅の絵である。 |
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小堀遠州は関が原の合戦後、父の小堀正次といっしょに備中松山城に入り、1万2千石の国奉行として入場したが、城が「備中兵乱」で非常に荒廃していた為、頼久寺を仮の館として執務したことがある。 約15年、この地を治めたとあるが実際の国入りは5回程度のようだ。 彼を有名にしたのは作庭家としては勿論であるが伏見、大阪、駿府を始めとする城造りの作事奉行としての功績も見逃せない。 また、お茶、和歌、書、器等にも造詣が深く「遠州好み」は今日にも伝わり、現代風な言い方をすれば「マルチ人間」であった。 桂離宮の改築造営を命じられた時「催促なきこと、助言なきこと、費用いとわざること」と幕府に注文をつけたのは、彼の真骨頂であろう。 |
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見頃は来週一杯(6月18日頃)であろううと思われる。 土日は見学者が多いので紺屋川入り口にある国道脇の観光駐車場に車を止め、ゆっくり美観地区を歩きながら行かれるのが良い。 足を伸ばして「備中松山城」まで行かれる方は土日に限り、城見橋公園に駐車し、そこからシャトルバスに乗り換えになります。 平日はふいご峠の駐車場まで車で登れますが、天守閣まで徒歩で30分程度の登りとなり、ハイキング仕様の軽装が望ましい。 |
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